(”哲学の道”からの続き・・・・)
”哲学の道”を歩いてたどり着いたのは「銀閣寺」。
学校の歴史でも室町時代、足利義満=金閣寺、足利義政=銀閣寺と習うほどのお寺ですね。
そんな有名なお寺なのに、金閣寺には幼少から含めて7回ほど参拝してるのに、銀閣寺には行ったことなかった私。はじめて来ました~
[wc_fa icon=”camera” margin_left=”” margin_right=””][/wc_fa] 臨済宗相国寺羽 東山慈照寺
南禅寺、永観堂、哲学の道と桜のシーズン前で比較的空いていたのに、さすが「銀閣寺」!
観光客がいっぱい
銀閣寺の基礎知識
銀閣寺は、正式名称を東山慈照寺と言い、相国寺の塔頭寺院のひとつ。
それではナゼ銀閣寺と言うか
由来は江戸時代。
室町三代将軍の義満の金箔貼り「金閣寺」と対比して八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を「銀閣寺」と呼んだのでは?と。
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられましたそうです。
義政は、9歳にして家督を、15歳にして将軍職を継ぎました。
生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘として作り上げたのが「銀閣寺」だそうです。
しかし!義政は銀閣寺の完成を見ることなく没しました。
[wc_fa icon=”camera” margin_left=”” margin_right=””][/wc_fa] 銀閣寺(観音殿)と錦鏡池(きんきょうち)
皆が呼ぶ「銀閣寺」のこの建造物(国宝)は「観音殿」です。
敷地は2万平方メートルと広く、その中に観音殿、錦鏡池などあります
全部の庭を廻ろうとすると小高い丘を登ることになります
[wc_fa icon=”camera” margin_left=”” margin_right=””][/wc_fa] 丘から見た「観音殿」
[wc_fa icon=”camera” margin_left=”” margin_right=””][/wc_fa] 銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい)
この砂絵?も何かを表現しているんでしょうね、はじめて見ました。
他の寺社とちがって、太い線状の模様は、灘(だん)と言い、大海原を意味し中国の西湖を模したとか。
[wc_fa icon=”camera” margin_left=”” margin_right=””][/wc_fa] 観音殿の上の鳳凰
東側を向いている鳳凰。
「金閣寺」にも同じ鳳凰が屋根にあります。
室町時代、足利家、関係があるんでしょうね。
ご朱印
拝観入場し、見学する前に朱印帳を預けておきました。
手筆印なのでうれしいです
コメント待ってます♪
銀閣寺に入っていくあの“垣根”が、いつも綺麗に刈り込んであって惚れ惚れします(笑)
ちかちゃん
なるほど~!
ものすごくキレイに刈られたわ。
観光客が多くて写真撮れなかったけど、
入り口でいただくパンフには「銀閣寺垣」と紹介されてて常に手入れされてるみたいやね。