義母や義妹には言えないけれど、これでいいのかと思う。
治療を決める権利は誰にあるのか・・・と。
十二指腸潰瘍の穿孔による腹膜炎の手術に耐えて義父はがんばっている。
今のところ一進一退。
しかし、今夕恐れていた縦隔洞感染がわかった。今夜緊急で大網充填術をすると言う。
これで3度目の緊急手術。
手術を受けるのか受けないのかを判断する状況に義父は今ない。
軽く眠らされているし、話しかけても半分はわかっているけれど、思考能力と言うものがあまりない状態だからだ。仮に、手術を受けるか?と聞いたとして半分ぐらいは「もうええ」と答えそうなほどに参っているとも言える。
義父の息子である夫は、するなら今しかないと言う。義母は息子の判断に任せると言う。
義妹は「ほんの少しの可能性でもあるなら出来ることは全部して欲しい」と言う。
わかる。気持ちはとても。だけどそこに義父の気持ちはない。
入院するきっかけとなった解離性大動脈瘤の手術はがんばると義父は言ったけれど、
その後は義父は医療従事者と家族の意向で手術室に入り、手術を繰り返している。
手術の効果、結果は五分五分と言う。
生きる権利は誰のものなのだろう。ふっと考えてしまった。
けして義妹には言えないけれど。
コメント待ってます♪
難しい話だ
権利なんてないで
その言葉自体が適切やないと思う
もう義父であって義父やないねんで
望みとか希望とか理想とか願いとかがいっぱいの偶像になってまうねんなあ
義父さん
私も祈ってるで・・・お元気になられますように
季節の変わり目は高齢者にとって厳しいね…
よくなられますように
しゃらちゃん
結局3回も手術をしましたが、ICUでがんばっています。
まだがんばれる身体なんだと思います。
こな身さん
そうやね。「生きていて欲しい」と心から願うそれだけでそれしかない存在なんやと思う。あれから縦隔洞炎がわかり三度緊急手術で大網充填術をしました。
もう手術でやれることはないところまでしました。あとはそれぞれの手術の効果があって、データが良い方向へ向かうだけです。
サクラ
ありがとう。こんな時がくるだろうとは思っていましたが・・・
がんばります