<あらすじ>
逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるのだろうか・・・。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。
第二回中央公論文芸賞受賞作。
<感想>
小説の映画化が流行のような昨今。
この作品も成島出監督、主演:永作博美、井上真央で2011年に映画化されました。
映画化でキャストを知ってから本書を読んだのでどうしてもイメージ化されてしまいますが、読んだ私の感想として、キャストのイメージはかなり近いです。
<希和子>
不倫の果て、不倫相手の赤ん坊を誘拐し逃げ続ける女。
彼女を主人公して読む場合、カレとは別れるべきだと理性でわかっていながらも、ふっとしたカレの優しさに心が揺らぎ関係を続けてしまった希和子を十分に理解できるし、カレとの赤ちゃんにまつわる背景の中で誘拐と言う形をとってしまった感情も理解できなくもない。
「薫」と名付けた娘を貧しく良い環境と言えない中で愛情たっぷりに育てる希和子。
逮捕される瞬間に彼女が発した言葉が後に書かれているのだが、この言葉に母を感じずにいられず、グッときた。
<薫、のちに恵理菜>
大人の身勝手な行動で人生のスタートをめちゃくちゃにされた女の子。
誘拐犯と憎み続け、(ナゼ私だったのか)と言うことに苦しみ続ける恵理菜は、自分が母親になることで、今まで理解できなかった何かを見つけていく。
実の親か、育ての親かなんて愚問だけれど、穏やかで柔らかな、笑いの絶えない家庭で愛情いっぱいに育つことが、人間形成の根底では1番大切なんじゃないかと感ぜずにはいられない。きっと、恵理菜が母親となったとき、誘拐犯の母であった希和子と過ごした小豆島での生活が彼女を支えるのではないだろうか・・・と。
小説の中に男の存在はほとんどない。女ばかりは出てくる。
誘拐犯の不倫相手であり、恵理菜の父親である男の存在価値は何だったのか。
この男こそ一番罪深き男じゃないか。そこを小説の中で描かないことでドロドロした雰囲気を消し去ったのかも知れない。
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