日々のつぶやき

傘寿を迎えた父

投稿日:2012-10-25 更新日:

傘寿の父を母とふたりでお祝いした。
父も80歳。

厳格な父で、小さなころ、手をあげられたことは何度もあった。
私はおてんばだったし、要領も悪かったのだろう。
第一子と言うことで、両親も躾に厳しかったこともあるが、小学校の時、友だちと遊んで帰りが遅くなったら、家に入れてもらえず1時間ほど外で寒かろうが暑かろうが放置された。
ようやく母の口添えで許してもらえても、土間で土下座して謝まらないと家に入らせてもらえなかったことが何度も。屈辱的だった。 父親に少しでも反抗的な言葉や意見を言うと、たたかれたし、絶対服従感を押しつけられた。「イヤなら家を出て行け!」と何度も言われ、「誰が食べさせてくれてるんや!」と言われることも。
子どもの頃の私にとって、父の存在は<絶対的>だった。
こう書けばすごいことだが、かと言って厳しいだけではなかった。
流行に敏感な人で、遊び心が溢れている人だったので、いろんな遊びをさせてくれた。
ボードゲームが流行れば買ってくれて容赦せずに戦ってきた。
スキーや、アイススケート、泳ぎを教えてもらったし、ローラースケートも近所で1番早くさせてもらったと思う。 ま、それも父の期待に応えないとってプレッシャーはあったけれど。 ただ、父が私を愛していることはわかっていた。 厳しくても愛情が伝われば子どもは曲がらないと言うけれど、事実と思う。 そんなだから確実に思春期は父と確執があって、 (絶対に家を出る!父親に頼らずに生きる術を身につける!) と言う思いだけは強かった。

今の私がいるのは父のおかげだと思う。
この職業を選んだのも、滋賀を出たのも全部父から巣立つことが目的だった。
両親に頼らずに生きること。
これが私の人生の命題だった。
だから子どもが生まれたときも最低限しか頼っていない。
長女だけど、実家に縛られずに嫁いだのも「人生は自分で切り開くべきもの」と言う父の教えがあったからだと思う。

そんな両親も高齢になり、私もこの年齢になってオトナになったのだろう。
2年前に両親を自分の住む街に呼んだ。 頑固だった父が最終的には折れて引っ越ししてきた。 自分の体力・気力に自信を失ったからだと思う。 傘寿のお祝いを母と3人でした。 上寿司を取って食べた。 私は父にダークグリーンの薄いダウンベストをプレゼントした。 家でも外でも着れるだろうと思ったし、ベストが昔から好きだったから。

「ありがとう」と言ったきりだったけど、プレゼントしてから無言でずっとそのベストを着てる父の後ろ姿を見て、言葉にできないいろんな感情がグワッ~って湧いた。

あなたへの反発心が今の私を作ったのだと思います。
ありがとう。
そして最期まで私がいるので安心して老後を送ってください。

そう伝えたかったけど、やっぱり言えなかったからココに記しておく

PS. FBに傘寿の父に対する短い文を載せたら、たくさんの方からコメント&いいね!をいただけました。ありがとうございます。

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